9月から公開されている話題の映画、『ミッドナイトスワン』を見ました。
たいへん多くの方から絶賛されているとおり、草なぎ剛さん演じる凪沙(なぎさ)は抜群に素晴らしかったし、凪沙の貫いた儚くも強い愛に大きく心揺さぶられました。
だだ、私には、なにか胸に引っかかるものが残りました。
引っかかる、というか胸に重く苦しいものが残った感覚がありました。
それが一体何なのか、モヤモヤが晴れるまで自分の中でしばらく寝かせおいたのですが、ようやくはっきりしたので、感想を書いてみたいと思います。
〈注意〉
感想を書く上で、ネタバレになってしまう部分がありますので、ご注意ください。
映画・ミッドナイトスワン~母の胸に響いたある言葉
母の胸に響いたことば
この映画を振り返ってみたとき、最初に浮かんだのが、バレエコンクールのシーンでした。ご覧になった方はお分かりかと思いますが、トランスジェンダーの凪沙が預かることになった少女(一果・いちか)がバレエのコンクールの舞台上で動けなくなる、あの場面です。
凪沙に引き取られたときから、それまでの辛い体験を忘れたかのように夢中で踊りに打ち込んだ少女、その努力と才能が認められ出場したコンクールの舞台で、一果が選んだのは、白鳥の湖のオデット。
会場にチャイコフスキーの「白鳥の湖」が流れ、純白の衣装でステージの中央に立つ一果。
さあ、これから本番がはじまる!
ところが、ステージの中央でスポットライトを浴びた一果は、微動だにせず立ち尽くしたまま。
舞台の袖から早く踊るようにと促すバレエ講師、座席から祈るような目で見つめる凪沙、一果を心配する凪沙の仕事仲間たちのささやき。
舞台の上でいつまでも動かない演者に会場がざわつき始める中で、一果は助けを求めるようにひとことつぶやきました。
お母さん!
と。
多分、心の中の声で。
私はその心の声を受け留めた人がふたりいた、と思っています。
一人はすぐに舞台に駆け上がった、一果の実母。彼女はド派手な服装でバッサバサの茶髪、バレエのコンクール会場にいるとは思えないヤンキーな格好でしたが、なりふり構わず後部座席の方から駆け寄り、ステージによじ登り、立ち尽くす一果を抱きしめたのです。
お母さん
という言葉に、じっとしていられなかったのでしょう。
娘にひどい言動を浴びせてきた彼女の中に、これほど娘を思う気持ちがあって、それが彼女を突き動かしたのだと思うと、少し救われた気がしました。
凪沙の運命を決めたことば
お母さん
その言葉を受け取ったもう一人は、凪沙だったと思います。
一果が選んだ踊り白鳥の湖、実は、バレエの講師からは、コンクールにこの踊りを使うのは不利だ、と言われていました。しかし
どうしても踊りたいんです
と意志を貫いた彼女。
それは凪沙も店で白鳥の湖の劇中曲を踊っていたからではないでしょうか。同じ舞台で使われる曲を踊ることで、自分の気持ちを伝えたかったのだのだ、と思います。
育ての母に自分の晴れ舞台を見てほしい、それには凪沙の知っている曲じゃなきゃ、と。
あのときの「お母さん」は、本当は凪沙に呼びかけていたんじゃないかなって思います。
でも、凪沙は動けなかった、一目散に駆けつけて一果を抱きしめた実母とは真逆の方へ、会場の外へと歩み始めた凪沙。
そのときから、凪沙の心に強く揺るぎない気持ちが宿ります。
それまで田舎の親や親族に打ち明けていなかった秘密を明かし、自分の母親に「私が一果の母だ、一果を迎えに来た」と宣言した凪沙はとても強かった。
実母の驚き、泣き叫ぶ姿にも動じない姿はそれまでの凪沙にはないものでした。
母だという自覚、自信がここまで強くするのか、と驚きました。
しかし、最後に「海に連れてってほしい」と、一果に頼む凪沙は、まるで娘に甘える母親でしたし、気遣いながらも望みを叶えてあげようとする一果も、どうみても凪沙の娘にしか見えないほど自然に映りました。
もう一人の母の悲しみ
この映画には主に3人の母が登場します。
一果の実母、一果の育ての母(凪沙)、そして凪沙の母です。
私は、施術後、凪沙が実家に帰ったとき、突然変わり果てた姿で現れた息子を母はどんな気持ちで迎えたのだろう、どんな言葉をかけたのだろう? と凪沙の母の気持ちを思い、辛くなりました。
もし自分の息子が…と思うととても複雑で直視できない。いやいや、まさかね、ないない、と打ち消している自分がいました。
登場された時間はわずかなのですが、根岸季衣さんが演じる凪沙の母が泣き叫ぶ悲痛な姿は、今でも脳裏に焼き付いています。
母親を自覚したことば
私は、自分がトランスジェンダーや育児放棄といった問題について、言葉では理解しているつもりでも、その本質は理解できない部分が多くあると思っています。
だから、草なぎさんが演じる凪沙の複雑な心理描写は、演技が上手いなぁ、すごいなぁと感じますが、共感はできません。
でも、凪沙が一果によりそっていくあたりから共感できるところがたくさんありました。それは母としての共感です。
食事のシーン、公園でバレエの練習を見守るシーン、コンクールの出番前に娘の髪をとかす場面、ドキドキしながらも誇らしいバレエのステージを見るところなどなど。
それと同じように一果の実母が育児放棄をしてしまう件は理解できなくても、酔って娘に甘えるように謝るシーンや、なりふり構わず舞台に駆け上がり娘を抱きしめる気持ちは共感できました。(娘がバレエを、習っていたこともあるのでなおさら、です。)
そして、田舎で息子のことを思う母の気持ちも、です。
お母さん
その一言で私自身ハッとするものがありました。
実母と一果、凪沙と一果、そして凪沙とその母。
一果がどんな状況で生まれたか、中学になる以前のことは描かれていませんが、女手一つで中学まで育てた実母に娘への愛がなかったとは思えません。
一方、凪沙が一果にかけたやさしい言葉や表情には、幼い頃、自分の母から受けたであろう愛情があふれ出ているに違いない、と思います。思いたいです。
そして、泣き叫んでいたお母さんに、凪沙たちのこの姿を見せてあげたかった。そうすれば少しは救われると思ったからです。
それぞれの置かれた環境や立場は違うけれど、子どもへの愛情を垣間見るシーンがあったことに救われた思いです。
深く入り込んだ映画でした
映画を見た後、胸が詰まるような苦しさは、自分が母として凪沙や一果を見てたからなんだ、ということに気がつきました。
そりゃ辛くなるはずだわ、と。
それほど深く入り込んだ映画だったということですね。
それは何より俳優陣の演技がとても自然で、すぐ近くの現実にいそうな人、起こりそうな現実を思わせたから。
母であることは喜びでもあるけれど、やりきれない思い見を抱えることもある現実を突きつけられたようで、辛くなった私でした。
けれど、ラストの海辺のシーンで見た凪沙の笑顔は、広い海のように温かいものであふれていました。自分も最期はこんな笑顔を遺したいと思ったほどです。
ミッドナイトスワン、とても一言では言い尽くせない心に染みる作品でした。
かなりショッキングな目をそむけたくなるようなシーンもありましたから、あと味があまりよくないな、見終わった直後はそう思っていました。しかし、そういう映画は3日もするとだいたいいつもこうなります。
もう一度見たい!
って。
機会があればもう一度観たい、今度はもう少し冷静に見ることができるし、新たな発見があるような気がします。
そのときはまた、感じたことを書き留めたいです。
最後までおつき合いありがとうござました。