HANAのおと

50代主婦hanaの雑記帳。おもしろい、役に立つ、覚えておきたいことをあれこれと書いています

旅立つ人、見送る人

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もうすぐ2022年もおしまいですね。

気づけば2か月余り投稿してませんでした。

やばいやばい。

今年のうちにせめてあと1回は投稿したい、と焦りながら書いています。

 

この1年、特に後半は、よいこともそうでないことも続いて起こり、心身ともに落ち着かない、しんどい時期でした。

 

まずは、7月の引っ越しです。

都営住宅の空きが出て入れることになったのはありがたいことでした。

ただ、入居可能の連絡が突然やってきて、そこから実際の引っ越しまでの準備期間が短かったので、片づけや断捨離に追われ、荷造りも引っ越し当日ギリギリまでかかってしまいました。

予想以上に不要なモノが家の中にたまっていて、それを処分するのために費用もかさみ、これまでため込んだ自分を反省。

もう買わない、と思いました。

 

でも、ありがたいことに、新居は以前(築40年)よりも新しく、設備が整っています。

周囲の環境も静かで、高台で水没する心配もなく、また賃料も少し下がったので生活面でも楽になり助かっています。

ただ、やはり新しい環境に慣れるまでは少なからずいろんなストレスがかかります。

たとえば、通勤時間が長くなった、スーパーが近くにない、コンビニも遠くなった、公共施設が遠くなった、移動手段や時間が前より手間、などなど。

まあ、これからゆっくり慣れていくんだろうな、とは思っているのですが。

年とともに、新しい環境に慣れるのには時間がかかるのも仕方のないことかと思います。

デメリットよりメリットに目を向けて快適な日々を送れるように早く慣れろ、

と自分に言い聞かせる今日この頃です。

新居からの景色



そして、10月。

106歳でコロナに感染するも、見事復活を遂げた祖母が、10月18日、ついに天に召されました。

なくなる朝まで自分で歯を磨き、ちょっと横になるわ、と自室に戻った祖母。

そのあと、血圧の異常に気付いた施設の方から親族に連絡が入り、息子夫婦と娘(私の母)夫婦が駆け付けました。

そして最期は私の母が手を握っているあいだに、眠るように旅立ったということです。

 

 

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葬儀には孫が全員集合しました。

私は実家が大津にあるので、祖母の葬儀には出るつもりでいましたが、まさかいとこが全員参列できるとは思っていませんでした。

東京、千葉、岩手、大阪、横浜、から集まった5人の孫たち。

みんな祖母が大好きだったのです。

お茶目で明るく、

いつもて孫と手加減なしの真剣勝負で遊んでくれた祖母、

祖母といるとなにかしら面白いことが起こる、

だからみんな祖母のそばに行きたくなるんです。

短い時間でしたが、何十年ぶりかで顔を合わせた私たちいとこは、祖母との思い出を語り合いながら、

おばあちゃんがみんなを合わせてくれたんだね

とあらためて祖母のパワーに脱帽しました。

寂しいけれど、大きな感謝で見送りました。

祖母の家からの景色



後で聞いた話です。

祖母と同居していた叔父から

本当は早くお迎えが来てほしい、連れ合いのところに行きたい、

と日記に書いていたんだよ、と聞かされ、

長生きしてね、という言葉は祖母には残酷な一面もあったのかもしれないと胸が痛む場面もありました。

 

 

そして、12月。

 

今度は、祖母と同居していた叔父が亡くなりました。

実は、叔父は4年前からs字結腸癌を宣告されていました。

見つかった時にはかなり進行していたそうで、

4年も生きられるのは奇跡

と主治医の先生から言われたそうです。

私も病気のことは聞かされていましたが、祖母の葬儀のときの叔父は、とても元気そうに見えて、まさかそこまで病気が進行していたとは思いもよりませんでした。

11月に私が毎月1度の帰省をしたとき、叔父の病の深刻さを目の当たりにしました。

ちょうど祖母の四十九日の法要があって、祖母宅を訪問したのです。

その時の叔父は、ベッドに寝ていて、起きられる状態ではありませんでした。

でも、横になりながらも張りのある声で、私に向かって笑顔で自分の愛する文学のことや作品についてを熱く語り、

私にこれはすごい本やで、絶対面白いから読んだ方がいい、持って帰り!

といくつもおすすめ本を譲ってくれました。

叔父から勧められた本、中には洋書もあるのです。

よめるかな?

あんたなら、大丈夫や、1日に10行でもいいから、読んでみ、どんどん面白くなってくるから。

と叔父。

わかった、頑張ってみるわ。

と私。

帰り際に、

ほなまた!

と声をかけた私に、大きな笑顔でバイバイと手のひらを広げてくれた叔父。

その手にタッチして

また来るわ!

と笑顔で別れることができました。

叔父との約束、頑張って果たしていこうと思っています。

祖母の家からの夕景



祖母より先に逝くわけにはいかない

という強い気持ち、それだけでもっていた、と叔母は教えてくれました。

その叔父の妻である叔母は看護師を長く務めていたので、叔父が病の宣告を受けたとき、その後の患者がどのような状況になっていくか、どのように病が進行していくか理解していました。

その上で、叔父を支え、また、祖母も支えながらの4年間でした。

叔母も、祖母のように明るく元気いっぱい、おしゃべりが大好きで太陽のような人です。

そんな彼女は今、祖母と叔父と3人で暮らしていた家に一人になってしまいました。

彼女の気持ちを思うといたたまれなくなります。

 

私の母は3か月という短い間に母親と実弟を続けて亡くしました。

叔父が亡くなったあと、

片方の耳が聞こえなくなった、

と私に連絡してきました。

ストレスが原因と思われる突発性難聴でした。

幸い、今は回復し、聞こえるようになりホッとしています。

 

 

この3か月余り、心身ともにかなりキツイです。

 

与えられた命を生きていくことの大変さとともに、辛さを感じています。

生きるってしんどいなぁ

見送るってつらいなぁ

って。

 

でも、それを106歳で天寿を全うした祖母がきいたら

私の半分しか生きてないのに、なに言うてんのや!

と叱られてしまいそうです。

生きていればつらいこともあるけど、いいこともある

泣きたいときには泣いたらええ、

うれしい時には大声で笑ったらええ、

無理せんとぼちぼち歩いて行ったらええんや

 

祖母ならそんなふうに言ってくれるんじゃないかなぁ

そして、強くなれ、

と言われている気もします。

生きていると、いろいろありますね。

 

樅の木

 

 

年が明けたら

はい!ここから気持ちを切り替えて!

とはいきませんが、ゆっくり自分のペースで2023年を生きていければと思います。

 

これで私の話は終わりです。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

暗い話になってしまって、ごめんなさい。

 

どうぞよいいお年をお迎えくださいね。

 

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