HANAのおと

50代主婦hanaの雑記帳。おもしろい、役に立つ、覚えておきたいことをあれこれと書いています

【敬老の日に】祖母のこと~思いつくままに書きました

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紫の花



私の祖母は

大正5年生まれで現在106歳です。

滋賀県の湖北地方に生まれました。

3人姉妹の次女で活発だった少女は、

女学校を卒業して近所に住む4つ上の男性(祖父)と結婚。

長男の嫁となり、男3人女1人(私の母)の4人の子どもに恵まれます。

夫の仕事の関係で、滋賀の北部から大津市に転居。

戦時中は大津で過ごしました。

空襲警報が鳴り、家族が防空壕に避難する中、

臨月で身重の母が家にいるのが心配でたまらなかった

と、のちに娘(私の母)が孫に語っています。

 

そんな祖母は、得意な和裁の腕を生かして、

家事の傍ら

着物の仕立ての仕事を請け負い、

(のちに、孫(私)の振袖を縫いあげます)

4人の子どもたちを育て上げました。

 

三時草

 

時は流れて

祖母、50歳の春、

娘に子どもが生まれます。

初孫は女の子でした。

その子の名前の1字は

彼女の名前から付けられました。

孫は、電車で30分ほど離れた場所にいて、よく遊びにやってきました。

幼い孫をおんぶしてよく口ずさんだ子守唄は

 

千昌夫の

星影のワルツ

 

調子っぱずれの歌で、

孫は眠るどころか、笑いが止まらなかったのですが

その背中はあったかくて気持ちよく

背に耳をくっつけると響いてくる

お経みたいな歌で

結局は寝てしまったようです。

 

孫と祖母はとても仲が良く、

いっしょに泳ぎに行ったり、蝉取りに行ったり、

ゲームをして遊びました。

相手が6歳の子どもでも

遊ぶときは手加減なしの真剣勝負。

よく遊んだのはトランプで、

こたつを囲んで祖母と孫、あとはだれか手の空いてる大人を呼んできて

ババ抜き、7ならべ、7ブリッジ、大貧民…

負けた孫は、悔し涙を流しながら、

もう一回!!

中学になっても、高校生になっても

手ごわい相手に勝負を挑み続けます。

勝負の結果は勝ったり負けたり。

それがとても楽しみでした。

 

 

祖母が60歳の時に、夫(祖父)が癌で亡くなります。

夫婦二人で過ごした時間はそれほど長くはなかったようですが、

友人知人に恵まれた彼女は、

あっちこっちから誘われて

日本各地に旅行に出かけたり、

海外へも足をのばしたりとアクティブになりました。

そして、旅から戻ってくるときは

山のようなお土産を抱えて帰ってきました。

そんな姿を見た孫は

お土産を買うために外国に行ってきたみたいやな

と思ってしまうくらいでした。

 

旅行のほかには、習字の教室に通ったり

老人会のゲートボールに出かけたり

好奇心旺盛。

気さくで誰にでも声をかける性分で、

話がとても面白いので、

行く先々で知り合いが増えていきます。

結果、いろんな集まりに呼ばれ

中村さん(仮)が来ないと始まらないわ、

といわれるほど人気者に。

 

ピンクのゼラニウム

 

そんな性格は、

介護老人保健施設に入所している今も変わりません。

 

彼女が80代で大腿骨骨折した時は、

周囲はみな「車椅子の生活になるだろう」と思っていました

が、その予想を軽く裏切り、

リハビリの末、杖無しで普通に歩けるようになりました。

 

90代で再び足を骨折した時は、

今度はもう無理だろう

と思われましたが

杖をついてなら歩けるまでに復活しました。

 

100歳をこえた現在は、さすがに、車椅子の生活となりました。

そして、いろんなケアが受けられる施設に入ることになりました。

 

孫は、コロナの前には帰省するたびに必ず祖母に会いに行きました。

そんなとき、祖母は、孫のことはおろか、

ひ孫の年齢や学年、学校のことまでちゃんと把握しており、

 

太郎は一人暮らしでちゃんとやってるのか?

花子は高校2年だがどこの大学に行くのか?

 

など、100歳の恐るべき記憶力に驚きました。

 

きけば、施設で計算ドリルを日課にしているとか。

 

そして施設内での行事やクラブ活動には皆勤賞。

 

そして、こんなこともありました。

 

あるとき、自分より年下の入居者が、

職員さんに文句を言っているのを耳にしたことがあったそうで

 

そんなとき祖母は

まあ、まあ、

皆さん一生懸命やってくれるんだから、

そんなこと(文句)いいなさんな

 

となだめ役に回ってたそうです。

 

入居者で最年長の祖母

職員さんからも一目置かれる存在になっているらしいです。

 

 

そんな祖母が、

 

3日ほど前に退院した

 

と連絡がありました。

 

退院した、ということは、

そう、

彼女は入院していたのです。

原因はコロナ。

施設内で発熱し、39度を越える熱が出て、

106歳で体力も衰えていることもあり、

入院したそうです。

もしかしたら

という思いがよぎります。

しかし、施設の方は

中村さんが戻ってこられるまで、お部屋はそのままにしておきます。

と言ってくれたそうです。

実の娘には

あの人(母)はきっと戻ってくる

という予感と確信があったそうです。

 

そして、

 

祖母は見事に生還したのです。

 

すごいな

あの人の血が流れていると思うと

わたしらちょっとやそっとのことでネを上げてられへんな

 

80を過ぎた娘と50を過ぎた孫は

よくそんな話をしています。

 

おばあちゃん!

あなたのことを思うと

自然と力が湧いてきます

いつもパワーをくれてありがとう

 

ケーキ

 

 

2022年9月19日

たよりない孫より

 

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