先日、高校時代の友人と会って、ゆっくり話す機会が持てました。
ここ数か月、私にしては珍しく、ずっと気持ちが下降線をたどっていたので、忙しい相手とはわかっていながら、連絡してみたのです。
会わへん?
って。
二つ返事でOKが返ってきました。
いっしょにお昼を食べて、お茶を飲み、
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
年を重ねるとともに会話の内容は重みを増して、
しんどいよなぁ、
って話題の方が多くなってきました。
愚痴も山ほど出てきます。
それでも、
こんなこと言ったら相手にどう思われるだろう…
なんてことを気にせず、心の内側をさらけ出して話せる友は本当にありがたい存在です。
話を聞いてくれる人がいるって、本当にありがたい、うれしいものです。
年を重ねて、その思いはより強くなってきました。
別れ際、
わたしら、ようがんばってるよなぁ、
ってお互いをほめ合う。
そして後ろ髪をひかれる思いで、私たちはそれぞれの家へ戻りました。
高校時代、部活の帰りにバス停の横のお菓子屋さんで50円の棒アイスを食べながら、恋バナに花を咲かせた当時が懐かしいです。
お互いの行く先に、まさかこんないろんなことが待ち受けているとは、想像もしていませんでした。
なんだ、かんだ、で、30余年、
長い付き合いのY子とは、これから先もずっと変わらず
会わへん?
ええよ
そんな関係でいたいなぁ
今の時代、遠く離れた相手とも、ビデオ通話で会話ができるようになりました。
が、「実際に会う」のとは温度差があります。
自分の好きな「推し」を、動画で見るのとライブ会場に行って実際に見るのとでは空気感が全然違う、それと同じ。
友人が目の前にいてくれるだけでホッとする、安心感は大きいです。
日常生活で無意識のうちに張りめぐらしていた心のバリア、強い緊張が一瞬で解かれて癒しで満たされる感じ。
全身がふわっとあったかいものに包まれたような、やさしさを感じられる、友はそんな存在です。
彼女に会いたくなったのは、私の周囲で訃報が続いたから、ということもありました。
今、会える人にあっておかないと、いつ会えなくなるかわからないぞ
と。そんな恐怖心が湧いてきたのです。
いつでも会える、
ではなくて
会える時に会っておかないと後悔する
そんな思いに駆られていました。
帰り道、さっきまで話題にしていた、実生活での彼女の大変さを思いました。
それに引き換え、自分は甘いなぁ、もっと頑張らなあかん、
と自分を奮い立たせていました。
もっと自分にできることがあるはず
と。
娘たちには、
たくさんじゃなくていい、ひとりでもいいから(親に言えないことでも)何でも話せる友だちを作った方がいいよ
と言ってきました。
今、彼女たちには腹を割って話せる友がいるので、それは親である私にとっても安心できるし、ありがたい、うれしいことです。
次、会えるのはいつかな?
桜の花が咲く頃かな
それまでに、あれをしておこう、こうなっておこう、
会う前の心の暗雲は晴れました。
一歩ずつ進んでいれば、きっといいことがある
そんな気持ちにさせてくれた友に感謝しています。