まもなく、梅雨の季節です。
「水無月」って6月のことをいうんだ、と知ったのは小学校の頃だったでしょうか。
むつき、きさらぎ、やよい・・・
と呪文のように唱えながら覚えました。
でも「水無月」は習う前から知っていました。
なぜかというと「みなづき」というのは和菓子のことだと思っていたので。
水無月は6月に食べるもの
なくてがっかり・なつかしい味
上京してからを友人に
水無月が食べたいなぁ
と話したら、
それってどんなお菓子?
と聞かれました。
その時、みなづきって誰もが知ってる和菓子じゃないんだと知りました。
水無月はういろう(外郎)の上に小豆をのせたもので、形は直角三角形。ご存知の方も多いと思いますが、こんなお菓子です。
ういろうの土台の上に甘く煮た小豆をのせて葛(くず)をうっすらと流してあります。
地元では、近所のスーパーから老舗の和菓子店まで、水無月が置いてある店もたくさんありました(多分今も変わっていないと思います)。
当然、店によって、ういろうのやわらか具合や小豆の硬さ、甘さの加減もちがいます。
私が食べていたのはどれも庶民的な店のごくごく庶民的な味。
ういろうは冷やし過ぎると硬くなるので、少し冷えたころに食べるのが常です。
だから正直、子どもの頃はあまり好きではありませんでした。
ういろうの甘さと食感、小豆の味も、少ししか冷やしていない中途半端な冷たさも。
水無月は、夏が来る前、ちょうど今頃になると、出てきました。
あんたも食べ!
といわれて
まあ、嫌いじゃないから食べとこか、
くらいの気持ちで食べていました。
自分から食べたいと言い出すことはなかったです。
ところが、習慣というのは恐ろしいもので、上京して一人暮らしを始めたら、水無月が食べたくなってきたのです。
夏が来る前の、ちょうど今頃のことです。
水無月、たべたいなぁ
といったのはそういうわけでした。
水無月を6月に食べるのには意味がある
調べてみると、水無月は6月に食べることに深い意味がありました。
古くは室町時代、御所では旧暦6月1日に氷室から取り寄せた氷を口にして、暑気払いをしていたそうです。(京都の北山には氷室跡があります)
氷は貴重で、庶民が簡単に食べられるものではありませんでしたから、本物の氷のかわりに、氷をかたどったお菓子が作られるようになりました。
それが水無月です。水無月が三角形なのは、氷室の氷片をかたどって作られているから。そして、上にのっている小豆は魔除けの意味があるそうです。
水無月ー6月30日の夏越祓(なごしのはらえ)に、過ぎた半年の穢れを祓い、来る半年の無病息災を願って食べる。外郎の上に小豆の粒餡を散らしたようなもので、三角形に切り分けて売られることが多い。(Wikipediaより)
夏越祓(なごしのはらえ)というのは神事で、「茅の輪くぐり」とも呼ばれ、神社で6月末に行われます。
京都の貴船神社の夏越の大祓式の様子を下の動画で見ることができます。
夏越の大祓では、その年前半の穢れを祓って無事に過ごせたことに感謝し、後半も元気に過ごせるようにとお祈りするんですね。
この夏越祓の日に食べられたのが、水無月でした。
なぜ食べられたかというと、
「夏越祓に食べると無病息災で過ごせるお菓子」として売られたからでしょう。
節分の恵方巻とかバレンタインのチョコに似てますね。
現在も6月30日は「水無月を売る日」といわれていたり、6月の最後の5日間限定として発売するお店もあるようです。
【6月25日販売開始】 水無月・白水無月 | 行事にちなんだお菓子 | とらやの和菓子|株式会社 虎屋
ちなみに、滋賀の実家周辺ではゆるく、だいたい6月ごろになるといつでも手に入ったような気がします。スーパーにもありました。
おまけ
和菓子のことはわかったけど、雨がよく降る時期なのに、どうして水無月っていうんだろう?
いくつかの説があるけど、「みなづき」の「な」というのはここでは「~の」という意味で使われているんだって。だから「みなづき」は「水の月」を表す言葉なんだよ。
文法でいうと連体助詞の「な」。
漢字から「無い」をイメージしてしまいますが、そうではなかったんです。
じゃあ、なんで無の字を使ってるの?
「無」の字源は「木が大いに茂る」の意、とあるよ。だから「な」と読む文字として使われたんじゃないかな。
最初から「ない」状態を表す意味の文字として使われていたわけではなかったんですね。(参考:『新漢和中辞典』)
あの水無月にこんな由来があったとは知りませんでした。
今年はたくさんの感謝と祈りをこめて水無月を食べようと思います。
最後までおつき合いありがとうございました。