バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)のpart1から3まで一挙に見て堪能したHANAです。
実は、主役のマーティーを演じたマイケル・J・フォックスの大ファンで、彼が来日した時は、会えるわけでもないのにウキウキしていました。
パート1で初めて高校生を演じた1985年当時、彼はすでに24歳、さらに5年後に撮影されたパート2と3の時は29歳!(ちなみに2と3は同じ時期に続いて撮影されました)29歳で高校生役が演じられるなんて驚異的!と話題になりました。
当時はCMにも出ていたんですよ!
BTTF関連の記事が載っている映画雑誌は今も大事にとってあります。
ほらね!
まさか35年後に、同じ雑誌を見ている自分がいるなんて、あの時の私が知ったら呆れるでしょうね~。
物持ち良すぎやがな(;^ω^)
偉大なおもしろ発明家、ドク・ブラウンからのメッセージ
ところで、 BTTFをご存知の方は、パート3(完結編)のラストシーンを覚えていらっしゃるでしょうか?
でもそのシーンに行く前に、ここではBTTFの1から3までの流れだけをざっと紹介します。
パート1は30年前という近い過去へのタイムトリップ、過去のちょっとした出来事によって未来が大きく変わる、その変化が面白くて、それまで見たSF映画とは大きな違いを感じました。
パート2は、30年後という近い未来へのタイムトリップ。ちょっと困った問題を抱えている未来の自分を見てしまったマーティーが、未来の自分のために行動を起こします。何とか問題を解決したのもつかの間、新たな問題が発生。「今」にもどるはずが、とんでもないことになってしまい、パート3につづく。
そして、パート3。親友のドクを助けるために100年前まで飛んでいくマーティ。そこでマーティーは、自分たちの先祖にあたる人たちと交流し、彼らから教わったことが『今」に自分へ、そして未来の自分へとつながっていくことに気づくのです。
お待たせしました、BTTFのパート3のラストシーンです。
完結編というだけのことはあって、1や2にはない締めくくりにふさわしい情景、深いメッセージが込められています。
BTTFⅢ ラストシーン
すったもんだで最後の最後までハラハラしながら、100年前の1885年から1985年の「今」にもどってきたマーティー。
車を運転する彼の横には、ガールフレンドのジェニファー(パート2で眠らされたままだった)が無事に眠りから覚めて座っています。
彼らは鉄道の線路わきに車を止めています。
そこへ、木っ端みじんになってしまったデロリアン(車)にかわって新しいタイムマシンの蒸気機関車が突如現れます。
その機関車から出てきたのはマーティーの親友、発明家のドク・ブラウンとその妻クララ、そして二人のかわいい子どもたち。
もう会えないと思っていたよ!
と再会を懐かしむマーティーとジェニファー。
ひとしきり挨拶が済んだところでジェニファーが言います。
未来から持ち帰った紙の文字が消えているの、どういうことなの?
と。
(ジェニファーはマーティー宛の「お前はクビだ」と書かれたファックスを持ち帰っていました)
すると、彼女の手に握られたまっ白な紙を見てドクがこう答えます。
きみの未来はまだ決まっていない
未来は自分で切り開くもんなんだ
何度聞いてもいいセリフ、しみるなぁ
「未来は自分で切り開くもの」
これが全編に込められたメッセージです。
パート3だけではなく、パート1から3までどのパートにも通じるメッセージです。
現在、未来、過去、を 旅してドクが見てきたものは、自分の道を自分で切り開いてきた人たちの姿だったのでしょう。
それはドク・ブラウン、彼自身の姿にも当てはまっているように感じました。
いや~、映画って本当にいいもんですね、
ナミヤ雑貨店の店主、浪矢雄治からの返事
BTTFのラストシーンの白い紙を見て、思い出した作品があります。
それは『ナミヤ雑貨店の奇蹟』という小説です。
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は日本と中国で映画化もされています。
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』
東野圭吾
角川文庫
人気作家のベストセラーですからご存知の方も多いと思いますが、簡単にストーリーを紹介します。(ネタバレあり)
同じ孤児院で育った3人の青年が盗みを働き、空家になっている古い雑貨店に逃げ込みます。
その雑貨店は30年ほど前、店主が元気だったころは「お悩み相談所」としても知られていました。
当時の週刊誌に、
相談者が悩み事を書いて店の郵便用の小窓に投函すると、翌日、店の外の牛乳箱の中に店主からの返事が入っている、そしてその手紙に救われた相談者がたくさんいる、
と書かれるほど人気があったようです。
3人の青年たちは、そんな30年も前のことは知りません。が、その夜、彼らは不思議な体験を通して、店の小窓と牛乳箱が過去と現在をつなぐ窓口になっていることに気づきます。
ストーリーを読み進むうちに絡まった糸がほどけるように謎が解けていきます。まったく関係のない人物だと思っていたら、こんなとこでつながっていたのか、あのときのあれは、そういうことだったんだ、と、ゆっくりと霧が晴れるように物語は終盤を迎え、ラストシーンです。
青年たちは、自分たちが潜んでいる雑貨店の秘密を確かめるために、ある実験をしていました。
30年前の店主とつながっているのが事実なら、今、手紙を小窓に入れたら返事が来るはずだ、と何も書いていない白い紙を店の郵便小窓に投げ込んでいたのでした。
そしてその結果…
彼らは30年前に亡くなった店主・浪矢雄治(当時72歳)から手紙を受け取ります。
それは何も書いていない「白紙の手紙」への返事でした。
その返事にはこんな言葉が書かれていました。
少し長いですが、引用します。
さて、名無しの権兵衛さんへ。
わざわざ白紙をくださった理由を爺なりに熟考いたしました。これは余程のことに違いない、迂闊な回答は書けないぞと思った次第です。
耄碌(もうろく)しかけている頭にむち打って考え抜いた結果、これは地図がないという意味だなと解釈いたしました。
私のところへ悩みの相談を持ち込んでくる方を迷子に喩えますと、多くの場合、地図は持っているが見ようとしない、あるいは自分のいる位置がわからない、という状態です。
でもおそらくあなたは、そのどちらでもないのですね。あなたの地図は、まだ白紙なのです。だから目的地を決めようにも、道がどこにあるかさえもわからないという状況なのでしょう。
地図が白紙では困って当然です。誰だって途方にくれます。
だけど見方を変えてみてください。白紙なのだから、どんな地図だって描けます。すべてがあなた次第なのです。何もかもが自由で、可能性は無限に広がっています。これは素晴らしいことです。どうか自分を信じて、その人生を悔いなく燃やし尽くされることを心より祈っております。
悩み相談の回答を書くことは、もうないだろうと思っておりました。最後に、素晴らしい難問をいただけたこと、感謝申し上げます。
ナミヤ雑貨店
文庫版p412~413より引用
映画のなかで店主・浪矢雄治を演じられたのは西田敏行さんです。
子どもから大人までみんなに愛される愛嬌たっぷりの雑貨屋のおじさん。
そんな彼のやさしい声で語られるこの手紙は、観客の心をじんわりとあったかくしてくれました。
趣向の異なる2本の作品ですが、「白い紙」というツールを通して語られるメッセージ、そこに込められた思いには共通するものを感じました。
どちらもたまに見たくなる、そして元気をもらえる作品です。