これは、もうすぐ82歳になる私の母の話です。
10月半ば、実家の母が
友人5人と会ってくる、
と言って大津から京都へ2泊3日で出かけました。
母には短大時代からつきあっている女友だちがいます。
子どもたちの手が離れ、独立したころから、みんなで毎年どこかへ旅行に行くのが恒例になっているのですが…
いまやみなさん81歳と82歳のおばあちゃんです。
どこから見ても後期高齢者の6人が、東京、神奈川、大阪、滋賀、京都から集まる女子会です、すごいですよね。
気づいたら62年たっていた!
彼女たちは短大を卒業してからなんと62年間、友情を深め続けているのです。
中には親兄弟よりも長くつき合っている人もいるんですって。
そんなに長くつき合えるなんてすごいな。
それもグループでずっと続いてるなんて、なかなか聞かないよ。
62年も続いた秘訣はなに?
と聞いてみると
みんなが無理しない付き合い方
という答えが返ってきました。
子育て中、忙しくて出会う時間がとれないときは、交換ノートを回してお互いの状況を報告し合ってきたんだそうです。
そういえば、私が幼い頃、母が「これ書いて友達に送るんだよ」と大学ノートにいろいろ書いていたのを覚えています。
みんなで交換ノートを作って、順番に郵送して回していたんです。
今はLINEでのやりとりが当たり前ですが、LINEもスマホもなかった時代です。
手書きのノートが東京や京都、横浜や大阪を行ったり来たり。
いったい何周したんでしょうか。
でも、自分の手元に届いたとき、他5人の手書きの文字が、生の言葉が書いてあるって想像するだけで楽しくなりますよね。
そして、なんでも気兼ねなく言える間柄
親の介護や家族の病気で大変なとき、自分の体調が悪いときには、みんなが無理に集まろうとはしないで、来れる者だけで集まってたな。
私は行けないからあんたたちでやって、と言える
じゃあ今回はこっちでやるね、と遠慮なくやってきた
来れない人がいるから今回はやめよう、ではなくて、来れる人だけでやるから、来れるようになったらおいで、というスタンスで、お互いが遠慮なくやってきたんだそうです。
あとは、それぞれができる方法で、誰かと連絡を取り合う。
電話、手紙、今はLINEもありますが、連絡網みたいなのはないんです。
どこかで誰かがつながっていれば、自然とみんながつながってる関係がいつの間にかできていた。
そんなこんなで、気づいたらもう62年ですって。
62年目の同窓会
母は、2年半くらい前に足を痛め、同じ時期に帯状疱疹も発症し、一時は寝たきりで動けなくなりました。
その後、回復して今は歩けるけれど、一人で遠くまで出かけるのは不安な状態です。
さらに、昨年は、実母と実弟を亡くし、気持ちも弱くなってきていました。
友人の中には(彼女は京都に住んでいます)腰が曲がって手押し車が手放せない人がいます。
そんな二人のために、つき合って62年目の同窓会は、関東組(こちらは元気いっぱい)が京都へ来ることになりました。
9月の半ば、まだ残暑が厳しかったときは、
10月の同窓会にいけるかなぁ
と弱気だった母ですが、日にちが近くなるにつれて、
しっかりしなくっちゃ
と、気持ちに張りが出てきたようでした。
同い年の友だちに会える
ということがこれほど元気の源になるとは、驚きでした。
そして10月、旅行が近づいたある日、電話の向こうから私に
がんばって行ってみる!
と宣言し、母は5年ぶりに京都駅まで一人で出かけていきました。
母たち足が悪いメンバーは朝から晩までずっとホテルに滞在し、元気組は日中は外歩きを楽しんできたそうです。
3日間、しゃべり、歌い、泣き、笑い、さらにまたお互いの絆を強靭なものにしてお互いの生活に戻った6人でした。
あれほど一人で長く歩くのが不安だと言っていた母は、旅行から帰ってきた翌々日、なんと、ひとりで朝6時半から散歩に出かけました。
え!?
散歩?
一人で?
歩けたん?
と驚く私に、
うん!
と、どや顔の母。
一人で歩くのは不安やし、ついてきて~、と言っていた同じ人とは思えない自信に満ち溢れた「うん!」でした。
友だちのパワーってすごい。
きっと集まった6人みんながパワーアップして、それぞれの持ち場に帰っていったのでしょう。
そんな母がうらやましくなりました。
自分もこの先、母たちのようになれるよう、友だちを大切にしよう
そのためにも心身ともに健康で日々を生きていこう
そう自分自身に誓った娘なのでした。
(終)