今日は8月6日です。
今日、私が読んだ本を3冊紹介します。
タヌキのきょうしつ
山下明生 作
長谷川 義史 絵
あかね書房
広島にはじめてできた小学校が舞台です。
その小学校ができたのは明治6年。今から150年近く前です。当時のこどもたちはとてもはりきって学校に通っていました。中には赤ちゃんをおぶってくる子もいました。
学校の校庭には、クロガネモチの木が植わっていて、春に芽をふき、夏に葉が茂り、秋に赤い実をいっぱいつけるのでした。
そんなクロガネモチの木の根元にタヌキの一家が住み着きました。
タヌキのお父さんは、学校に通ってくる生徒が気になってしかたがありません。
「どうやらこれからの世の中は、だれでもかれでも勉強せんといけんようじゃな」
そう思ったお父さんは、人間の子どもに化けて1年生の教室にもぐりこみました。
人間の子どもに交じってあいうえおや算数を勉強しているうちに、すっかり勉強が好きになったお父さんは、自分の子どもたちにも勉強させてやろう、だれもいなくなった夜の教室で教え始めます。
ある時、教頭先生が夜の教室にホタルの明かりがともっているのを見つけます。窓からのぞいてみたら、なんとタヌキが勉強しているではありませんか。
「にんげんの生徒たちよりもしんけんにやりよるわい。こがいにいっしょうけんめいべんきょうしよるタヌキたちのじゃまをしちゃいけん」
こんなふうに始まるお話は、広島弁の語り口がとてもあたたかく、タヌキと人との交流がとても微笑ましく思えます。
ところが、時代は明治から大正、昭和へと移り、教頭の息子ヘイタも大人になったころ、戦争が始まります。
そのころにも、まだタヌキの学校は続いているのですが、人間たちの学校がそうであったようにタヌキの学校にも戦争の色が濃くなってくるのです。
そして、タヌキたちも8月6日をむかえます。
メージをめくった瞬間、それまでとはガラリと変わった絵に
えっ?! なにがおこったの?!
と思うかもしれません。
それまでの温かい雰囲気とはまるで違った色づかいで、その日の光景が描かれています。
小さい子どもにもわかるようなやさしい言葉で、その日の光景が語られていて、響きます。
戦後、広島はどうなったのか、クロガネモチの木は? ヘイタは? タヌキの学校は?
結末はご自分の目で読んでみてください。
平和のバトン 広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶
弓狩 匡純(ゆがりまさずみ)
協力 広島平和記念資料館
くもん出版
これは、被爆体験者の実話を軸に、あるプロジェクトを通じて生まれた高校生と被爆者の方々との強い絆、そしてそれを支える教師、家族の姿、を描いたノンフィクションです。
広島市立基町高校には、各学年に1クラス美術を学べる創造表現コースがあります。
2006年、そこで学ぶ生徒たちに広島平和資料館から、あるプロジェクトの申し出がありました。
それは、広島平和資料館で自らの体験を来館者に語るボランティア活動を行っている被爆者の話を聞いて絵にする『次世代と描く原爆の絵』というプロジェクトです。
「ことばだけでは当時の状況を伝えるのが難しい、ついては証言者の皆さんの話を絵にしてほしい」
その願いを聞き入れ、2007年からこのプロジェクトが始まりました。
生徒から見たプロジェクト
プロジェクトは授業や部活の一環ではなく、ボランティア活動として行われました。
参加を希望する生徒を募り、キャンバスと絵の具と額縁だけは支給されました。
彼らはまず、証言者の話を聞き、何を描くのかを自分で決めるところから始めます。
描く対象について、証言者の話だけでは足りない資料を自分たちで調べることも必要でした。
そのうえで、あくまでも証言者の記憶に忠実に再現することが求められたのです。
想像で描くことは許されず、何度も何度も本人に会って話を聞き、わからないことや知らないことは当時の写真や資料で確認する必要がありました。
そうして1年かけて完成した絵は、まるで彼らがその場で見たかのような力強さと迫力があります。紙面を通してもそんな印象ですから、実際に見たらさらに圧倒されるに違いないでしょう。
高校生の娘を持つ母親として、自分の子にこうした絵を描かせるには覚悟がいるな、そんなふうに思いました。
証言者から見たプロジェクト
本書では、完成した何枚かの絵について、その絵が生まれた背景(被爆者の実体験)、その絵が完成するまでの生徒と証言者のやり取り、その絵を描き上げた後の生徒の証言などがインタビュー形式で書かれています。
自分の証言を絵にするためには、生徒からの質問に答えなくてはいけません。そのたびに思い出したくない過去を引き出してこなくてはいけない、それはとても辛いことです。聞いてもいいのか、と最初は生徒にも遠慮や戸惑いがあったと言います。
プロジェクトに参加した被爆者の一人は生徒たちをこんなふうに語っています。
最初の1,2ヶ月は何を描いとるんじゃろうとうんざりさせられるくらいのレベル、3か月を過ぎるとお互いにあ・うんの呼吸といったものができてくる。半年もたてば、生徒もいっぱしの証言者です。
そして、
このプロジェクトは自分の見た光景を残したいと思っても、どうしても描けなかったあの光景を後世に残すチャンスだと思っています。
と。
時間をかけて両者の間に共通する使命が芽生えたようです。
また、60歳を過ぎたころからガンが見つかり、21回の手術に耐え、今もがんと闘いながらプロジェクトに参加した方のことばに胸がつまります。
証言者にとっても原爆の絵は精神的にも肉体的にも大きな負担を強いられるプロジェクトなのです。
今年は自らの健康状態を考えて、途中で止めてしまってはみなさんに迷惑をかけてしまうので、残念ながら協力は辞退しました。
この方は、新たに肝臓がんが見つかりましたが、22回目の手術は辞退されたそうです。
絵を描くことで学ぶこと
生徒が証言者の話を聞いて、自身が追体験をしながらその光景を絵に描くことに対して、担当教諭の橋本先生は、こんなふうに話されています。
一つの作品として仕上げるためには頭で考えるだけでなく証言者が見たことをあたかも自分が体験したかのように感じながら、見る人にわかりやすく伝える絵にする、そのためにはどうすればいいか、それぞれの生徒たちが知恵を絞り解決策を見出していきます。
そして、自然に人とのコミュニケーションの仕方を学んでいった、何よりもまずあいさつができるようになった。
また、生徒が戦争の絵を描くことに対しては
生徒につらい思いをさせるわけにはいきません。手を挙げた生徒にはあらかじめ「生半可な気持ちであったり、完成させる自信がないのであれば止めなさい」と何度も忠告しています。精神的に不安定になる生徒がいればすぐに止めさせますし、本人がどうしても続けたいと言えば、しばらく時間をおいてようすを見ます。
生徒たちはみな、それぞれ異なった性格や能力を持っていますから、日ごろから表情や発言は注意深く観察するようにしています。
絵を描くことでこれほど多くのことを学べるのか、また心身共に影響が及ぶことすらある大変な作業なんだと改めて教えられました。
記憶を記録にする
小説や漫画を原作として実写化された作品について、原作のイメージが実写版にもよくいかされていてよかった、あるいは逆に、原作のイメージが壊れるから実写版は見ないなどという話をよく耳にします。
これは、原作者と読者、そして実写化した製作者の作品に対するイメージが、三者三様だからです。
芸術作品として見る場合は、作品に寄せられるさまざまなイメージ、捉え方があって、大いに結構な話です。
原爆の絵のプロジェクトは、原作者(証言者)の話を聞いた製作者(高校生)が、その体験の記憶を絵にする、記憶の実写化といえるでしょう。
しかし、そこに製作者のイメージが入ることはありません。
その絵は、証言者がその時に見て感じたそのままの光景を記録する、そして残すという大切な役割を担っているからです。制作者が証言者の話から受けたイメージを加えることは許されないのです。
原爆の絵はそれぞれが一つの作品であり貴重な記録。
このプロジェクトに参加した高校生は、話を聞き、資料をあたり、筆を進めるうちに、証言者の体験を共有するようになります。空の色からひとすじの血管に至るまで、証言に忠実に描けているか、一つ一つ確認しながらの作業。その胸には貴重な体験を形に残すという使命感が芽生えていきます。
一方、証言者は、白いキャンバスに自らの記憶が実写となって甦るのを見守ります。原爆投下の真実を伝える記録に間違いはないか、自分の記憶と絵を比べて足りないものはないか、徐々に形を表す光景を目の当たりにし、思い出せる限りのことを制作者に伝えようとしている姿勢がうかがえます。
完成後、数年たって高校時代に話を聞いた証言者のもとを訪ね、もう一度絵を描かせてほしいとキャンバスに向かう人、当時は意識していなかったけれど、今になって自分の絵が証言者の生きた証となるという責任の重さを実感するようになった、と語る卒業生たち。
話を聞くだけでは通り過ぎてしまう記憶を自分の胸にしっかりと刻み付けた生徒たちと証言者は絵が完成した後も強い絆で結ばれているように感じます。
そして忘れてはならないものがもう一つ、彼らが自分の力でやり遂げられるように見守り支える教師や家族の存在です。かげで支えてくれる存在がるからこそ、このプロジェクトは10年以上続いているのです。
原爆の絵の絵画展は毎年夏と冬に広島で開催されているそうです。
できることなら、本物を自分の目で見たい、と思います。
最後に、著者である弓狩氏の言葉を引用します。
余りにも強烈な話を耳にすれば、その時は感動し涙を流し怒りも覚えますが、数日経てば、だれしも話の内容はすっかり忘れてしまうものです。
ただ、そうした話を自らの手と足を使って形にするとなればどうでしょう。その光景は、あなたにとって決して忘れられないものとしてこころの中に残ります。それは絵に限らず、音楽や文章でも同じことです。
何かに心を動かされたとき、その場限りにしないで自分の中にしっかり刻むことの大切さを教えられました。
おいでおいで
松谷みよ子 文
栗崎 英男 絵
国土社
見るからに怖そうな表紙です。
実際に読んでみると、もっと恐ろしくなります。
これは、著者が運営委員を務められていた日本民話の会のメンバーを通じて生まれた本です。
体験者の話をもとにまとめられた戦争にまつわるお話が10編収められています。
戦地に送り出した夫や息子か夢に現れたことでその死を悟った妻や母、遺骨として小さな箱の中に入っていた1枚の紙を見て「こんなもので息子の死を信じることなどできるわけがない」と悔しさに涙を流す母、本当は骨を届けたかったけれど、小指の骨さえ持ち帰ることができず「許してください」と詫びる何百何千もの兵士の死を見送った衛生兵、自分の言葉で少年の村が焼き討ちにあい、そのときに見た少年を忘れられずにいる兵士など、辛く恐ろしい話が多いです。
本当にこんなことがあったのかと目を背けたくなる話も出てきます。
が、中には人情味のある話もあります。戦地で美味しそうなカレーを作ったコックさんの話などはそれに当たり、すこしだけ「ホッ」と、救われます。
松谷みよ子さんは、『ちいさいモモちゃん』や『いないいないばあ』、あるいは『龍の子太郎』『ふたりのイーダ』など数多くの作品を書き、今なお子どもから大人までたくさんの人々に愛されている作家です。
そして彼女は、戦争体験者でもありました。
36年前に書かれた本書のあとがきには
幼い日から娘になるまで、私は戦争の中にどっぷりとつかって成長したのです。血の中をいやおうなくその体験は流れています。けれど戦後40年近い歳月がたったいまになっても、まだ、あの時の戦争について知らなかったことが多いのです。怖いと思います。知らずにいることは、とてもらくで、しあわせなことのようですけれど、知らないでいたために、知ろうとしなかったために引き起こされたあの戦争のことをおもうと、ふるえます。
と書かれています。
私はこれを読むといつも「知る勇気を持ちなさい」と諭されているような気持になります。
ここに収められた「本当は目にしたくない話」にも目を背けないようにしよう、と8月のこの時期になると読み返しています。