産後うつについて、なにやらザワついていたようですが、せっかくなので私自身の産後はどんなだったかなァ、と振り返ってみることにしました。
産後うつは、出産後、気が滅入って何もできなくなってしまう状態をいうそうですが、私も初産のあと、何もできなくなってしまいました。
ただ、うつが原因ではなく、激痛で動けなかった、というのが本当のところです。
出産は超カルかった
母が私を産んだときもそうだったと聞きましたから、そういう家系なのでしょうか?、私も初めてのお産から「超スピード出産」と言われていました。(二人目、三人目はさらにスピードアップしました)
どれくらい早かったかというと、朝6時ごろお腹が痛くなって、8時に病院に出発。
そのとき、病院では
(産科の先生) 生まれるのは夕方から夜になるでしょう
と診断されました。
そのあと、陣痛の波を測るモニターをつけられて病室へ戻った、と思ったら
(看護婦さん)あれ? 陣痛の間隔が早くなってきましたね。すぐに待機室に行きましょう。
ってことになり、待機室で横になったもつかの間、
(看護婦さん)あらら!? これはもうゆっくりしている場合じゃないわ、分娩室に行きましょう。ちょっとー、先生呼んできて~!
と。そして、そのあとお昼になる前に、無事出産となりました。
(看) お疲れさまでした、元気な男の子ですよ。お母様とご主人様にご対面してもらってきますね!
そう言って、新生児を抱いて私の病室へ報告に行ってくれた看護婦さんでしたが、
(看) あのねぇ、お二人ともお昼ご飯を食べに出られたみたい、病室にはおられなかったのよ。ご対面はまたあとにしましょうね。
と苦笑しながら戻ってこられました。
夕方か夜には生まれるでしょう、という予測が大ハズレで、付添人二人はうまれたてホヤホヤの赤ん坊との対面は叶わず、でした。
軽いお産の後におそってきた激痛
その痛みは、産後の入院中からでてきていました。
腰が痛くてたまらないのです。
直立不動ならなんともないのですが、少しでも動くともうだめ、尾てい骨から腰にかけて痛くて辛くてナミダ出る。
椅子に腰を下ろすとき、その衝撃がほんのわずかでもイタイ。
そーっとそーっとひざを曲げていかないと椅子に座れない、歩く時もゆっくりゆっくり足を前に出すのがやっと。病院の廊下の手すりとお友だちでした。
でも、それが私にとって初めての出産でしたから、
これは子どもを産んだ人が誰でも体験する痛みなんだろう、
と思っていました。
ところが、授乳室でほかのママたちの様子を見ていると、そこまで痛がっている様子がないのです。椅子に座る時、普通にストンと座ってるし、歩くときも手すりにつかまってゆっくり歩いてるのは私だけ。
あまりの痛さに泣きながら先生に訴えると
ああ、それは骨盤がズレたんやな
と言われました。
胎児は生まれるとき回転しながらゆっくり出てくるんですが、胎児が下りてくるスピードに合わせるように徐々に骨盤が開いて、胎児の通る道を作っていくんだそうです。
私の場合、おりてくるスピードが速すぎたので、骨盤の準備が間にあわず、まだ準備ができていない狭い道をぐいぐいと無理に通ったから骨盤がズレた。
というような説明でした。
さらに、男の子は女の子より肩幅が広いから、骨盤に負担がかかったのかもしれないと説明されました。
先生、どうしたら治るんですか?
あ~、これは日にち薬やからなぁ。
そのうちに治るよ。
骨盤をがっちり固定するガードルがあるから、それ巻いとき。
ゴムの強力なやつな。
特に治療は必要ない、と聞いたときは安心しました。
そして、言われた通り、強力なゴムでがっちり腰を固定して様子を見ました。
ところが、治る、といわれた「そのうち」がなかなかやってきません。
1か月、2か月、3か月。
産後の検診のたびに
そのうち治るよ~、といわれ
そのうちっていつよ~、と思っていました。
少しずつ動けるようになりましたが、完全に痛みが取れるには半年くらい(多分)かかりました、忘れたころに治っていたというのが正直なところです。
二人目ができたとわかった時、またあの痛みがおそってくるのかと思ったら、恐ろしくて、一瞬、産みたくない、と思ったほどです。それくらい辛かったのです。
でも、思わぬところに同じ激痛の経験者がいました。
近所の幼なじみのおばちゃんです。
おばちゃんに私の「骨盤ずれた話」をすると、
おばちゃん(自分)もそれ、なったよ。
え! おばちゃんも!?
うん、でも、二人目はどうもなかった。
(二人目からは)もう通り道ができてるから、アンタも心配せんでも大丈夫やで、
と。
よかった~
ホッとしました。
これで、産後の骨盤激痛に苦しめられる心配がなくなり安心できました。
産後うつ、ではないけれど、ちょっとブルーになることはあった
私は実家で里帰り出産をさせてもらっていたので、とても恵まれていたと思うし、とても助かりました。
腰が痛くて何をするにも時間がかかるので、助けてもらえて、本当にありがたかったです。
それでも、ちょっと落ち込むことはありました。
それは赤ん坊の泣き声です。
わけもなく泣き出すのにはてこずりました。
男の子の声って(ウチだけかもしれませんが)かん高くて鋭くてキンキン耳に響くんです。それを毎日何度も聞いているうちに、軽いノイローゼみたいになっていたのかもしれません。
おむつも替えたしお腹もいっぱいなのに、なんで泣くの?
さっぱりわからん!? なんで? なんで?
もうやめて~!!
そんなふうに思っているときに、母がやってきて
おー、おー。よしよし。
とあやしながら
この子、なんで泣いてるの?
と聞いてくるのです。
母は、何気なく聞いただけで悪気があるわけじゃないし、私もそれはわかっていたんですが、当時は全く気持ちに余裕がなくて、母からこは私のことをこう思っているような気がしていたんです。
HANA は母親なんやから、この子がなんで泣いているか、わかるんやろ?
って。だから
なんで泣いてるかって、そんなん、知らんわ! こっちがききたい!
って、イラッとして爆発しそうでした。
そんな気持ちをぐっとこらえて平静を装うのもストレスでした。
うーん、おかしいなぁ、おっぱいあげたばっかりやし、おむつも替えたんやけどなぁ、なんでかなあ
って。
偉大なる祖母のひとこと
そんなとき、私のストレスを一蹴する言葉をかけてくれる人が現れました。
それはおばあちゃん、私の祖母です。
実家から少し離れた場所に住んでいるので、時々様子をのぞきに来てくれていたのですが、大泣きする赤ん坊にてこずっている私に笑いながらこう言ってくれました。
おーおー。泣いてる泣いてる。元気な声やなぁ!
って。
そしてさらにこんな言葉をかけてくれました。
泣かしとき、泣かしとき、赤ん坊はな、
な く の が し ご と 。
運動してるみたいなもんやから、放っといたらいい。
泣き疲れたらそのうち寝るから大丈夫。
と。
それから、大人用の毛布を持ってきて、座布団くらいの大きさに折りたたんだ上に赤ん坊を寝かせると、こう言いました。
ほら、見てみ!
こうすると赤ん坊の重さでちょっと毛布の真ん中がへこむやろ。
そやから赤ん坊が手足をバタバタさせても体はここから動かへんのよ。
ほらほら、この子よう動いてるわ、元気な子や~
って。
そんなことをしているあいだに、目の前の赤ん坊の泣き声はどんどんエスカレートして、
ぎゃおーん、ぎゃおーん
とこの世の終わりみたいな泣き方になってきました。顔も真っ赤です。
でも祖母は、平気の平左。
毛布のハンモックの中で手足をバタバタさせて泣いている赤ん坊をみても、あっけらかんと笑っているのです。
何も心配いらんよ、これでいい、大丈夫。
と太鼓判を押してもらったような気持になりました。
祖母にこんな言葉をかけてもらえなかったら、きっと悩んでいただろうな、と思います。
三男一女を育て上げた先輩の言葉は偉大です。
私の激痛話はこれでおしまいです。
体や心が辛いとき、私にはそれをわかってくれる人がそばにいてくれたことに改めて感謝したいです。
アドバイスではなく、わかるよ~、と言ってくれる人がいることで辛い気持ちがずいぶん楽になれました。
支えてくれた周りの人たちへ「ありがとうございました」の気持ちを贈って、この話はお開きにしたいと思います。
最後までおつき合い下さった方、ありがとうございました。
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