HANAのおと

hanaの雑記帳。

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体験談 育児日記 書いてよかった5つの理由

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初めて子どもを授かってから23年。

今、彼らは社会人、大学生、高校生になりました。

やっとここまでこれた、

ここまで来るのは長い長い道のりだった、というのが本音。

人に言わせると、あっという間にこんなに大きくなって!なのだけれど。

 あっという間なんてもんじゃない、

ここにたどり着くまでに、私の心と体は、何度悲鳴を上げたことか。

どれだけ汗と涙を流したことか。

山あり谷あり、風あり雨あり土砂崩れありで、ようやくたどりついた今があるのです(今もまだ道の途中だけど)。

 

子育てに追われながら、私は、育児日記を書いてきました。一人目、二人目、三人目。

それぞれが生まれたときから、数年間は書いていました。今も目の前の本棚の片隅あります。

 

 

何気なく書き留めた幼い子どもとの毎日、それは数年後には、この世でたった一つの、大切な、大切な宝物になっています。

 

 

育児日記をつけてよかった5つの理由

育児日記ををおすすめする理由は下記の5つです。

子どもの健康状態が確認できる

生まれて半年ほどは、毎日の育児・観察記録です。

記入すること
おむつを取り替えた回数
おむつの状態、
赤ちゃんが寝ている時間(何時から何時までか時間をかいておく)
授乳の時間(飲み方でなにか変化があれば書く)
特に気になること(咳が出る、顔が赤い、鼻水でるなど)があれば書く

記録をつけはじめて1ヶ月くらいすると、赤ちゃんの動きのペースがつかめてきます。
そろそろおなかが空いてくる時間だな
そろそろオムツを取り替える時間だな、など。

それを目安にすると気持ちに余裕ができました。 

 

そろそろ出たころかな、とオムツを取り替えたとき、たっぷり出ていたらやった!と。些細なことですが、赤ちゃんの生活リズムがわかってくるとうれしいものです。
だって、相手はまだ、笑うことと泣くことでしか気持ちを伝えられないのですから。

↓これは私が実際につけていた育児日記です。

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でもこの時期、授乳は1日6~8回ほどだから、ママは細切れの睡眠しかできません。
第一子の場合、とにかく初めてのことばかりですから何が起こるか予想できず、不安になることも。情報として頭にあっても、実際その場になって見るとおろおろしてしまうこともあります。

そんなとき、毎日育児日記に、授乳でちゃんと飲ませることができた、入浴できた、便も出ている、など、できたことを書く。

それを続けるだけで、

よし、今日もわが子が元気に過ごせた

という確認と、

自分のやるべき仕事はできた、

という達成感がありました。

それで子育てに対する不安が少し解消されていたように思うのです。

赤ちゃんの具合が悪い、と感じたとき、例えば発疹が出た、とか、顔が赤いから熱があるかも、などといった場合は必ずこの記録をもってお医者さんに行きました。

診察時に、子どもの状態、昨日まで何をどれくらい食べた(飲んだ)、熱はどれくらいあった、どのように過ごしていた、などを 落ち着いて説明できたので、とても役に立ちました。

 

 

 

落ち込んだ気持ちを吐き出すことで育児ノイローゼから解放される

 

 病院では泣かれても平気だったのに、退院して赤ちゃんと1対1になると、泣き声がすごく気になり始めました。おっぱいを飲んだのに泣く、寒くもないのに泣く、静かにしているのに泣く、など、なぜ泣くのかわからない、泣き止まない理由がわからない。
これは、母になりたての自分にとって、ショックでありプレッシャーとなりました。
どうして泣くの? 
抱っこしながら私もいっしょに泣いていることもありました。

だから、手伝いに来てくれる母の何気ないひとこと、
この子、なんで泣いてるの?
が、とても嫌だった。
私だってわからないんだから、そんなこと聞かないでよ!
ヒステリックになって答えたこともありました。
そして、そのことも育児日記に書きました。
自分は母親なのに、なんで泣いてるのかわからない、たすけて~。と。

でも、自分の気持ちを文字にすることって、とても大切です。自分の気持ちを文字にして吐き出してしまうと、開き直ることができました。
母親だからって、何でもかんでもわかるわけない。と。

育児日記は、慣れない赤ん坊相手の不安な気持ちを吐き出せる、大切な場所になっていました。

泣き止まない赤ん坊にきっと不安な顔をしていたのでしょう。
祖母がとてもいいことを教えてくれました
「あのな、赤ん坊は泣くのが運動やで。
泣いてるときは、ああ、はよ(早く)動き回りたいんやな、元気な子やな、
って思ってたらいいんや。
病気のときは、泣き方が違うから、その声はお母さんにはちゃんと分かる。
こうやって泣いてるのは、運動や、運動。
手足ばたばたさせて、大きな声出したら、ええ(良い)運動になるしお腹もすく。
お腹が空いたら、おっぱいもたくさん飲める。泣く子は元気な証拠やで。と。

さすが!4人の子どもを立派に育て上げた大先輩の言葉です。
その日の日記に「子どもは泣くのが仕事!!」と書きました。
泣き出す我が子にビクビクしていた私にとって、何よりのアドバイスでした。

 

 

書くことで自分の気持ちが整理できる

1歳も半ばを過ぎると意志がはっきりしてきて、こちらの思うとおりに事が運ばなくなってきます。さっきまで機嫌がよかったのに、急にぐずりだしたり、ごはんを食べたり食べなかったり、おむつが取れたかと思ったら、失敗しちゃったり。

それに対して怒っても仕方がない、大きな声を出しても仕方がないとわかっていても、ガマンできずに怒鳴ってしまうことがありました。

そして、ああ、やっちゃった~と自己嫌悪に。

そんなとき、育児日記に「〇〇ちゃん、怒ってごめん。明日はいっしょにがんばろ!」と書いたりして、自分をなぐさめていた形跡が、いっぱいあります。

わが子に、ごめん、と書くことでイライラをスパッと断ち切り、自分の気持ちを整理し、気持ちの切り替えができました。

もやもやを吐き出して、リフレッシュできる場所が、育児日記だったのです。

 

時を経て、癒やされる

 これは、数年後に味わうことができる育児日記のメリットです。

書きなぐった筆跡から、当時の自分の気持ちが見て取れるのが面白い。
汚い字で乱暴に「フンッ」、薄く細い字で「ごめん」、などなど。
隣で子どもが私のまねをして書いた線なんかも残しています。
ミミズのような線、左右逆になっているひらがならしき文字など、今からでは二度と手に入らないわが子のサイン?作品?がところどころに散りばめられていて、ほおが緩みます。

自分が書いた育児日記だからこそ、世界に一つだけの宝物になるのです。

 

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壁にぶつかったとき、乗り越える力がわいてくる

ある程度大きくなって、物事の分別もわかるようになってくると、やれやれ、と肩の荷を下ろしたくなりますが、そのあたりで別の問題が浮上してきます。

中学生になって、親と口をきかなくなる、反抗してくる。
高校生になると、学校に行ってなかったことが発覚する、担任から呼び出しを受ける。などなど
予想外の事態に、頭を抱えることになるかもしれません。

何でこんなことになっちゃったんだろう?
どこでまちがったんだろう?
そんなとき、落ち着けと言い聞かせて、育児日記を読み返してみてください。

あの頃、無我夢中で毎日を子どもたちと過ごしていた自分がよみがえってきます。
子どもたちが元気で毎日を過ごせるように、それしか頭になくて、がむしゃらに3人と向き合っていた時間が行間に見えてくるようです。

鼻の奥ツンとして涙がこぼれます。
そしてこう思うのです。

彼らの記憶の奥底には、あの時が刻まれている。
いっしょに笑い、泣き、怒り、悲しんできた時間があったじゃない。
ここにちゃんと残っている。
大丈夫。やるべきことはやってきた。
いろいろ乗り越えてここまで来た。
よくやった。だから、これから先も大丈夫、と。

育児日記は大きな心の支えにもなるのです。

 

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育児日記は育自日記 

私の育児日記は自分を支え、励まし、強くしてくれます。

あなたの日記もきっとそうなります。

むつかしいことは書かなくていいのです。

ひとこと、今あるものを書く。

面倒な日はパス、後から追加もアリ。

 

最近ネットや雑誌で紹介されている育児日記をみました。

絵本みたいだな、と思いました。

写真やイラスト、シールなどを使って、誰が見ても楽しいしきれいでおしゃれ。

もちろんそれは素晴らしい作品です。

そこまで作りこめるセンスと技術と才能があれば、ここでもう少し楽しんでいただける写真がお見せできのに。とは思います。

残念ながら私の育児日記は、いたってシンプル、というと聞こえがいいけれど、9割が文字(半ばなぐり書き)、残り1割は下手なイラストや落書きの平凡で地味なものです。

しかし、

それでいい、と私は思います。

自分にウケればいいんです。

自分が面白いと思えればそれで充分に役目は果たしています。

だって、これは人に見せるためのものではないので。

どんなにシンプルで地味な育児日記でも、あとになって、

書いててよかった、

と思う日が、きっときます。
今の私がそうであるように。